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今年最後の余計なお世話(後半)
2009年12月15日

下の記事の続きです。もはやどんな結論につなげたかったのか半分忘れております!

これが数十年前だったら、私は絶対に業界からつまはじきにされていただろうが、しかし、こんなダメな出発点を持つ私とのプレイも楽しいと言ってくれるM男くんはいた。でも、90年~00年代という時代を考えてみたら、そりゃ確かに数は少なくてもいてもおかしくなかったと思う。

90年代という時代はいろんなジャンルのいろんなマイノリティとしてのあり方が提示・確立された時代ではあったけど、じゃあそういった素養や嗜好を持った人たちがどうすれば救われるのかまでははっきりとは示されなくて(まぁ単純になかったんだと思う、そういう場所が)、SMは「変態」というとてつもなく懐の広い定義のもと、そういう人たちにとっての駆け込み寺になってしまった観がある。そこへ駆け込んだ人の大半は、本来の愛好者が持ち合わせていたような嗜好とは無縁…とまではいかなくても、おそらくは「エッセンスを味わえればいいかな」程度の興味しかなかったり、そのエッセンスを発展させてできた、SMとはまったく別のものを求めていたと思う。
エロに本来のSMのエッセンスをプラスアルファで付け加えた程度のものしか持ち合わせていない人にもそこにはたくさんいて(何しろ、カテゴリの細分化が猛スピードで進むのに伴って、ちょっとしたことでもすぐに「変態」ともてはやされるようになってしまったので)、古き良きM男性たちは最終的には失楽園する羽目に陥ってしまった。

※ここで言っている本来のSMというのは「クラシックSM」のことです。

もちろん、私も変態という言葉の元に駆け込んだひとりである。それから、おそらく今、バッシングされている「100くれ」君たちも、同じように駆け込んだ人たちなのではないかと。

人種というか性癖のるつぼとなってしまったSM業界で、私がそれなりに気の合う相手を探し出すことはそうそう難しいことではなかった。もちろん全面的にもうピッタリ! という人はそうそう、というかまったくいなかったけれど、同じ後ろめたさ(ホントはSM自体は好きじゃないのにSM的行為をしていると満たされる部分があるからSMをやっているという)から、自分の手持ちの「スキ」の中から相手の「スキ」にも通用しそうなことをすり寄せ合ってやっていたら、意外にも結構楽しくSMをやることができた。

なんだろう、例えばメロンパンがあるとしますよね。メロンパンを「食べる」のが本来は正しいことだとして、でも私は食べることには興味がなくて、「匂いを嗅ぎたい」んですよ。で、相手は「舐めたい」のだとする。もちろん半分に割って別々のところで食べれば一発解決なわけだけど、それじゃ寂しいし、そういうことが一人でできないからこその変態であるわけですよ。
そうなったら仕方がない、「食べれば」匂いも嗅げるし舐められもするから、じゃあ二人で食べようかって話になる。それで結果的に行為だけ見れば正しいことをしていた、みたいな。
AV監督の二村ヒトシ氏はこういう感覚のことを「萌えカードの切り合い」と表現していたが、確かに「手持ちのカードを相手の出した札に合わせて出す」という感覚に似ている。

ちなみに私はエゴマゾというものは存在しないと思っているんですが、なぜかと言いますと、これがもし相手が私と同じく「匂いを嗅ぐ」ことにしか興味がなかったら、それは世間一般ではどんなに間違っていることだとされても、少なくとも私にとってみればものすごく正しいわけで。だからエゴとかエロとか言っても、結局は気が合うかどうかの話にしか過ぎないと思うんですよねー。ピッタリ合う人がいれば100だろうが1000だろうが求めても決してそれは悪いことではないんだけど、それはほぼ不可能に近いので、みんなこうやって頭を悩ませているという。閑話休題。

話があっちこっちふらついて大変申し訳ないのですが、とにかくもともとSではない私も、こうやっていろんなカードを切ったり切られたりしているうちに、だんだん相手に情がわいてくるようになったんです。
そうなると、相手がたまに私があまりほしくないカードをこちらの顔色を伺いながら出してくるようになったりして、私のほうもちょっと無茶なカードを出してみたりして、でもこちらとしては相手がかわいいから、まぁ受け取ってみようかなという気になったりして、相手もがんばって受けとってくれたりして、で、いざ受け取ったり受け取らせてみると意外と楽しかったり、自分の世界が広がったりして、そういうことを繰り返しているうちに、私はSMというか、SM的な行為の中でのコミュニケーションの楽しさに目覚めていった、ような気がする(Sに「なれた」かどうかはいまだによくわからない)。
信頼関係という言葉を使うのはイヤなんだけど、あえて使うとしたら、それは多分こういう状況にこそ当てはまるのではなかろうか。

「100ほしい」と言っている人たちへ。別に100もらいたいと思う気持ちが悪いとは思わないけれど、ちょっと発想を変えて、相手とコミュニケーションをするつもりで臨んだらいかがでしょうか? 自分が「100くれ」心を捨てることで、結果として150も200も得てきたことを考えると、100のために汲々としているのは本当に損してるなぁと思う。誰にでもというのは無理だろうしやる必要もないけど、この人いいな、って思った人のカードぐらいは、ためしに受け取ってみたらどうですかね?
この業種においては、100を与えることがプロではないと思います。相手の50と引き換えに、無茶を通すこともなく最後に端然と200与えて帰してやるのが、正しい女王様の姿だと私は考えています。

まぁあなたの100という小さくて居心地の良い枠の中で一生を終えたとしても、それは幸せなことなのかもしれませんけどね。何が正しいのかなんて、本当にわからないです。
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早川舞

Author:早川舞
 女王様と編集者の二足のわらじを経て、SM・フェティッシュ分野を得意とするライターに。別名義で環境、健康関係、和の文化や歴史についての記事や、ゲームシナリオ、ノベライズなども執筆する。ていうかわりと何でも書く。

 共著『可笑しなヘンタイ図鑑』(宝島社)、『Girl’s Side Book』『Girl’s Side Dictionary』(池田書店)、オタクが腐女子に、さらに女王様になるまでを描いた自伝『女王様はオタクだった 腐った遺伝子』(大洋図書・電子書籍)等の著作がある他、北尾トロ氏責任編集『季刊レポ』(ランブリン)にてSMの歴史や女装をテーマにした記事を寄稿。SM専門誌・ウェブサイトでも活動。

 メンバー全員女王様ロックバンド「SEXLESS」なんてのもやってたり。


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